聖都エルサレムの現状 | ||||||||
エルサレムの面積(652km3)は東京23区(612km3)とほぼ同じ面積。 イスラエルが実効支配する西エルサレムとパレスチナが首都とみなす 東エルサレムですが、現状では東西の両エルサレムは イスラエルによって実行支配されております。 ただしこの状況もめまぐるしく変化しており、 一日も早い平和解決が望まれます。 エルサレムの位置関係は下図です。 |
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エルサレムの旧市街はオスマン帝国支配時代に 築かれた城壁に囲まれ、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒 そしてローマカトリックに属せず、東方正教会にも属さないアルメニア教徒の 4つの地域に区分されております。 キリスト教教にとって=聖墳墓教会とヴィア・ドロローサ(悲しみの道)、 ユダヤ教徒にとって=神殿の丘、嘆きの壁 イスラム教徒にとって=岩のドームとアル・アクサ・モスク などと、歴史的にも宗教的にも非常に重要な遺跡を含んでおります。 ここエルサレムは、それぞれの宗教の重要な聖地になっているわけです。 |
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オリーブ山から望む聖都エルサレム | ||||||||
オリーブ山からの聖都エルサレムの遠望 ユダヤ教徒は死後の復活を信じているので決っして火葬にはせず土葬です。 復活し、起きて、立ち上がった時に真っ先に神に祈るために神殿の丘の方向に足を向けて土葬します。 |
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聖都エルサレム・城壁に囲まれた旧市街、8ケ所の門、神殿の丘、オリーブ山、各教会の位置関係図 |
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オリーブ山から望む聖都エルサレムのなかでも最も存在感のある 岩のドーム |
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岩のドームの3大宗教における位置づけ | ||||||||
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ゲッセマネの園 エルサレムのオリーブ山の北西麓の地名。オリーブの木が植えられた庭園風の場所のため ゲッセマネの園ともよばれております。ゲッセマネとはオリーブの油絞りの意味だそうです。 下の写真はゲッセマネとオリーブ山 中央はカトリックの[万国民]の教会で、右上はロシア正教会の[マグダラのマリヤ教会]です。 |
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マグダラのマリア教会 オリーブ山の中腹にあるロシア正教会の教会。 マグダラのマリア様とアレクサンドルの母マリア様を祀っております。 七つの金色の玉ねぎ型のドーム外観が特徴です。 |
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主の祈りの教会 オリーブ山にある教会 イエスが弟子たちに神への祈りを教えたという場所に建っております。 内部の壁面には神への祈りが世界各国の言葉で記されております。 日本語表記もありました。 4世紀の古代ローマ皇帝コンスティヌス一世によって創建されたものだそうですが 現在の建物は19世紀に再建されたもの。敷地内の地下洞窟にはかっての教会の遺構がありました。 |
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主の泣かれた教会 オリーブ山の中腹にある教会。 イエス様がオリーブ山の山頂に立ち、当時のユダヤ教指導者の無理解を嘆き、エルサレムの将来を案じて エルサレムのために泣いたという新約聖書の記述に基づき、つい最近1955年に創建された教会です。 |
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万国民の教会(=苦悶の教会) オリーブ山西麓にある教会 古代ローマ帝国テオドシウス一世が4世紀に創建した教会に由来するもの。 隣接するゲッセマネの園において、イエスが処刑前夜・最後の夜を苦しみながら 神に祈ったとされることから、苦悶の教会ともよばれております。 現在の教会は1925年、世界12か国からの献金によって再建されたものだそうです。 祭壇の下に、茨(いばら)の冠(かんむり)で囲まれた2,000年前のゲッセマネの園の地肌が見えていました。 なにしろ聖都エルサレムは、発掘すると何か出るかもしれない?・・ではなく、必ず何か出る! との事でした。 |
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聖都エルサレム観光マップ |
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次は聖都エルサレムのシオンの丘へと進みます。 | ||||||||