ヨルダンからイスラエルに移動 死海文書発見地クムラン車窓






前日はヨルダンの世界遺産ペトラを一日中満喫し大満足。

今日は一旦ヨルダンを後にしてイスラエルへと向かいます。

下の写真の右上はヨルダンでお世話になったバス。

ヨルダンからイスラエルに入国するのにイスラエルの入国審査がとても厳しく、

通関に約2時間かかりました。

入国審査場には機関銃を携帯したイスラエル兵士がやたらと目につき緊張しました。

通関時間が長いのは毎回の事だそうですが、

イスラエル周辺国との緊張関係を感じた場面です。





それでも無事イスラエルに入国することができました。

ここからはイスラエルのバスに乗り換え

現地ガイドもイスラエルのニムロードさんにかわりました。

バスは途中・海抜ゼロ・メートル地点で記念写真撮影停車してくれました。

これからバスは死海の海抜マイナス424メールへと下って行きます。










ここはクムラン(死海のほとりに位置します)

20世紀最大の考古学的発見とされる死海文書

(ヘブライ語聖書いわゆる旧約聖書)と

聖書関連文書が発見された場所です。

ヨルダン川西岸地区の死海の近くに位置しております。

今回の旅行者には、なっ!、なんと!、この旧約聖書

を携えておられた方が数名おりました。






以下の文書はインターネット・ウィキペディアから転載させて頂きました。

死海文書はヘブライ語聖書の最古のテキストを含んでいて、

宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期の

ユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。

文書は大部分がヘブライ語で書かれており、二割ほどのアラム語文書と、

ごくわずかなギリシア語文書を含んでいる。多くは羊皮紙であるが、一部パピルスもある。

文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、

質量分析法などから紀元前150年ごろから紀元70年の間と考えられている。

死海文書を記したグループ(以後、クムラン教団と呼ぶ)については、

伝統的にエッセネ派と同定する意見が主流だが、

エルサレムのサドカイ派の祭司たちが書いた、

あるいは未知のユダヤ教内グループによって

書かれたとする意見もあるそうです。

なお、この死海文書の現物はイスラエル博物館にあるそうです。

イスラエル現地ガイドのニムロードさんはエッセネ派が書いたものだと説明してくれました。

死海文書(ヘブライ語の旧約聖書)発見の地・クムラン(死海のすぐ近くです)
昼食は死海のほとりのレストランKalia Beachで

前菜、チキン、ビーフの煮込み、温野菜、ライスそれにデザートは真っ赤なオレンジ

写真のバックは死海です。


ヨルダンとイスラエルの間のキング・フセイン橋の国境では

イスラエルの入国審査でずいぶんと待たされましたが

(いつものことだそうです)それでも多少時間が有ったので

イスラエルの政治の中心クネマット(国会議事堂)などが見学できました。


イスラエルのユダヤ教徒メノラー(7枝燭台)を置くことにより、

常に神様に守られているという深い思いがあるようです

(キリスト教徒の十字架に相当するものでしょうか?)

写真の鳥はイスラエルのカラスです。ハトではありません。

羽がツートンカラーで、おしゃれです。

イスラエルのエルサレムで2連泊したCROWN PLAZAホテル
ホテルでの夕食も朝食もビュッフェ・スタイル

とにかく品数が豊富で、たとえ一口づつよそっても、

全種類を食べることはできませんでした。 ;(^-^);

ヨーロッパのホテルと違い、ここイスラエルのホテルでは

野菜類が多かったので良かったです。

 

ヨルダンからイスラエルに入国、死海文書発見地クムランのムービー
をクリックすれば再生開始します。


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