スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルチェゴビナ

東欧4ケ国周遊10日間


クロアチア(前半)
ポレッチ・ロヴィニ・プーラ

クルカ国立公園・スプリト




クロアチア共和国・国旗
人口約430万人、国土面積は九州の約1.5倍

クロアチア人(ローマ・カトリック教徒):約90%

セルビア人(セルビア正教徒):約4%

その他

主な産業:観光業、造船業、食品加工業

注:上記のデータは日本外務省HPを参照しました





古代ローマ帝国の一員だった古い歴史を持つ国です。

しかし、バルカン半島の他の諸国同様

フランク王国、東ローマ(ビザンツ)帝国、ハプスブルク帝国

オスマン帝国などの支配を受けた複雑な歴史を持ちます。

近代においてはチトー元大統領によりバルカン半島一帯が

ユーゴスラビアになったものの、チトー元大統領亡き後

クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争をへて

1991年独立し、現在のクロアチア共和国になっております。





クロアチアは2013年7月にEU加盟しましたが2014年8月現在の

通貨はKn(クーナ)のままでした。

1Kn(クーナ)≒20円   1€≒7Kn

枕チップは5Knが相場でした。










旅行先のポレッチ、ロヴィニ、プーラ、クルカ国立公園

スプリト、ドブロブニク及びプリトヴィッツェ湖群国立公園の場所











古代ローマ帝国の面影が色濃く残る
クロアチア・イストラ半島の
ポレッチ・ロヴィニ・プーラ3古都のムービー



ポレッチ旧市街


アドリア海に突き出たイストラ半島は、地理的にイタリア・ヴェネチアに近いこともあり

歴史的にも、つながりが深く、それぞれの町並みも、どことなくヴェネチアの風情がありました。




ポレッチ旧市街。イストラ半島の西岸に位置する町です。

古代ローマ帝国時代はジュリア・ポレンティウムと呼ばれ4世紀初頭には

すでに大司教座が置かれてあったそうです。

フランク王国、ビザンチン帝国などの支配を受けた後

13世紀にヴェネチアの支配下にはいりました。





赤い屋根の連なるポレッチ旧市街





アドリア海、イストラ半島西岸に位置するポレッチの街並み





ビザンチン帝国時代に再建されたエウフラシウス聖堂前で。

エウフラシウス聖堂は世界遺産に登録されております。





どことなくヴェネチア・チックなポレッチの街並み
 エウフラシウス聖堂

初期の聖堂は、ポレンティウムの聖マウルスに捧げられたもので、

古代ローマ帝国時代の4世紀半ばまでさかのぼる歴史的遺産。

現在の聖堂はエウフラシウス司教時代、旧聖堂跡に6世紀に

建設されたものだそうです。





エウフラシウス聖堂への入場券売り場

入場料40Kn(800円)





入口門

金ぴかのモザイク画(フレスコ画ではない)が迎えてくれます





教会に隣接された博物館では聖人像、神器、大主教衣などが展示されておりました。





博物館に保存されている創建当時の床モザイク(その1)





同じく創建当時の床モザイク(その2)





聖堂に隣接する古代ローマ帝国時代の邸宅跡





教会を装飾する、このモザイク画はヴェネチアの影響を大きく受けたと見えて

その構図はサンマルコ大聖堂のモザイク画に非常に良く似ております。

初期ビザンチン美術の秀作とされております。







昼食


今日の昼食は海辺のレストランで冷ったいクロアチア・ビールと魚のシチュー

何しろ晴天が続き、超暑かったのでギンギンに冷えたクロアチア・ビールが美味しかった~













クロアチア・ポレッチのムービー












ロヴィニ


アドリア海、イストラ半島西岸に位置する観光地であり漁港。

ヴェネチア共和国支配時代、ロヴィニ市は、3つの門のある

城壁で要塞化されました。旧市街を見下ろす丘に建つのが

聖エウフェミヤ教会。

教会に付属する後期ルネサンス様式の鐘楼は

高さが60m。町のどこからでも良く目立ちます。

ロヴィニはアドリア海に浮かんでいる町のように見えました。





町のどこからでも良く見える聖エウフェミヤ教会の鐘楼





旧市街を囲む城壁と城門の一つ





埠頭の近くにある、このバルビ門をくぐり、狭い石畳の路地を登った先が聖エウフェミヤ教会

この門にはヴェネチアのシンボル聖マルコ・有翼の獅子が彫刻されております。





旧市街に一歩踏み入れると中世の街並みそのまま細い路地が続きます。

ツルツルに丸みをおびた石畳に歴史を感じました。





観光の町でもあるので、メインストリートの両側は

お土産物屋さんがビッシリ。
 





観光の町であると同時に漁港でもあります。

見上げれば洗濯物もどっさりぶら下がり、生活の匂いも感じられました。





狭い石畳を登りきった丘の上に建つ聖エウフェミヤ教会
 




現地ガイドのエドガーさんと記念写真。





聖エウフェミヤ教会の鐘楼から見た紺碧のアドリア海





教会の礼拝堂内部、厳粛な雰囲気が漂っておりました。





伝説として伝わる3世紀に殉教した15歳の少女(聖女エウフェミヤ)の石棺を

幼い少年と2頭の牛が海から引き揚げ、この教会に安置されたとする絵。









クロアチア・ロヴィニのムービー










プーラ


イストラ半島の南端に位置する町。

古代ローマ帝国時代の円形劇場やアウグストゥス・ローマ皇帝が

1世紀に建造した神殿などが今に残ります。










古代ローマ帝国六番目の規模を誇る円形劇場

収容人数25,000人、現在でもオペラ会場などとして使用されております。





丁寧に良く保存されているなと感心しました。素晴らしいです。





プーラ旧市街の裏路地。踏み込まれピカピカになった石畳に歴史を感じます。





初代ローマ皇帝アウグストゥス帝によって創建されたローマ神殿










クロアチア・プーラのムービー










2,3(連泊)日目の宿泊:ホテル・オパティア


オパティアはアドリア海に面した海岸線にある町で、はるか対岸はイタリアです。

オパティアはビーチ・リゾート。18:30過ぎでも空は明るく、泳いだり、日光浴客が沢山。

左:今日の宿泊ホテル・オパティア  右はホテルの窓から望むオパティア市街
 





左:近くのオパティア教会    右:アドリア海の朝やけ
 





クルカ国立公園

クルカ川の本流が流れる自然豊かなクロアチア国立公園。

古い水車小屋では、小麦が挽かれていた当時の様子を知ることができました。

その他、公園内観光スポットとして最も幅の広いロシュキ滝、

最大規模のスクラディンスキ・ブクなどがありました。


クルカ国立公園のパンフレット
 





水流と緑が生み出す絶景です。

公園総面積142km2の内、約2割が水面で占められているようです。





水車小屋と

現地ガイドのロムニーさん




クロアチア・クルカ国立公園のムービー










 スプリト

アドリア海沿岸の中心都市で首都ザグレブに次ぐクロアチア第二の都市。

古代ローマ帝国ディオクレティアヌス帝が宮殿や神殿を創建し栄えました。

そのディオクレティアヌス帝の宮殿は、旧市街と同化しており

宮殿の一部は民家やカフェになっておりました。

スプリトの旧市街は古代ローマ帝国時代の遺跡の宝庫なので

世界遺産に登録されております。


スプリトのパンフレット



スプリトのマップ(クリックすれば拡大表示できます)





古代ローマ帝国ディオクレティアヌス帝の宮殿





ディオクレティアヌス帝・宮殿の広大な地下宮殿。最近発掘され整備中





スプリト旧市街、石畳や階段が続きます





元々はディオクレティアヌス帝の霊廟として創建された大聖堂





城門守備のローマ軍精鋭










ローマ帝国皇帝:ディオクレティアヌス帝についてのウンチク
(出典:ウイキペディアその他)

ローマ帝国皇帝(在位284~305年、在位期間は定年20年間)のディオクレティアヌス帝は

ダルマティア(現在のクロアチア)スプリト近傍の出身で解放奴隷の子でありながら、

ローマ帝国軍入隊後、一兵卒から軍人として頭角を現し

執政官、ローマ帝国精鋭・親衛隊・司令長官となりました。

そして284年に軍人皇帝時代の混乱を収束させ、自らを神として崇拝を強要させる

ローマ帝国皇帝になった人です。皇帝を神として崇拝しなかったキリスト教徒の大弾圧を

行ったことでも有名(?)です。一方、ナポリ民謡”サンタ・ルチア”の主人公ナポリの船乗りの

守護聖人・聖ルチアであり、ドラゴン退治で有名な軍人たちの守護聖人・聖ジョージ(英語読み)、

聖ゲオルギオス(ギリシャ語)、聖ジヨルジョ(イタリア語)、聖ゲオログ(ドイツ語)として

今に名を残しております。以上ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌス帝のウンチクでした。










石畳に遊ぶワンちゃんに誘われて裏路地に入ると

住宅の素敵なバルコニーと窓辺には洗濯物が沢山咲いておりました。





話は前後しますが、スプリト市街に入るときに目にした古代ローマ帝国時代に建設された水道橋です。

2,000年経過した現在も水路の一部は使用されているとの事で、良好な保存状態に見えました。










スプリトのムービー










4日目の宿泊はホテル・メディナ

今日の宿泊はトロギールのホテル・メディナです








翌朝、宿泊地のクロアチア・トロギールからボスニア・ヘルツエゴビナとの飛び地に位置する

ドブロヴニクに向けアドリア海沿岸をバス移動しました。

途中クロアチアのBrela(ブレラ)村で小休止、アドリア海の反射がまぶしい。
 





そしてここはクロアチア本土とドブロヴニクを地理的に約8km分断している

ボスニア・ヘルツエゴビナの、唯一アドリア海に面している、

Neum(ネウム)の町。ここで小休止

ただクロアチアからここボスニア・ヘルツェゴビナに入るための通関待ちで

2時間の交通渋滞に巻き込まれました。

国境バイパス用の陸橋か海底トンネルの建設構想がクロアチアには

あるそうですが、実現には至っておりません。

大成建設にお願いすれば、すぐに実現してくると思うのですが・・・・・

ここネウムのスーパーではクーナもドル、ユーロも使用でき、物価も

クロアチアより少し安いということで、皆さんどっさりお買い物してました。

右端の赤シャツのお兄ちゃんは今回のバス運転手アンドローさん、大変親切でした。


 
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