![]() スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ ![]() |
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モンテネグロ(黒い山)共和国 人口:約62万人、国の面積は日本の福島県とほぼ同じ。 主要産業は観光業とアルミや鉄鋼などの製造業と農業 宗教:正教徒が約80% イスラム教徒は約17% 通貨はユーロでした。 注:上記の内容は日本外務省HPなどを参照させていただきました。 国旗の中央はモンテネグロ王国時代の[黄金の双頭のワシ]、 その中心にはイタリア・ヴェネチアのシンボル [聖マルコ有翼のライオン]が描かれております。 モンテネグロの国旗からは 歴史的にヴェネチア共和国と オーストリア・ハプスブルク帝国の 影響を受けたことがうかがえます。 |
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モンテネグロは、ほとんどが山間部で平地が少ないのが特徴的。 中世の都市国家だった、ここコトルもアドリア海コトル湾と 背面の[黒い山]の裾にへばりつくような立地でした。 モンテネグロのアドリア海に面するこの一帯は曲がりくねった湾が続き ヨーロッパ最南部のフィヨルドとも呼ばれるそうでが、 勿論、実際にはリアス式海岸。 注:下図はアドリア沿岸地域大地図から転載させて頂きました。 |
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クロアチアのドブロヴニクから隣国モンテネグロの コトルに来ました。 モンテネグロ共和国はアドリア海沿岸国であると同時に クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、コソボの 旧ユーゴスラビア連邦の諸国とアルバニアの 計5カ国に囲まれた国です。 ここモンテネグロのコトルの歴史は古く、 古代ローマ帝国時代までさかのぼるそうです。 |
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コトル湾と黒い山の間の狭まぁ~い場所に位置するコトル |
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Googleの地図を拡大して見たコトル旧市街 白点線は旧都市国家のヴェネチア共和国時代 長期間にわたりコトル住民自らの力の結集によって築城された 城壁・要塞の位置を示しております。 城壁・要塞の他にも旧市街のあちこちの建物には ヴェネチアの強い影響が見受けられました。 |
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コトルの現地、日本語パンフレット ![]() |
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左:国の名前(モンテネグロ)の由来となった黒い山 このようにアドリア海が内陸奥深くまで入り込んでおります。 右:古都コトルは背後の山に沿って堅固な城壁が築かれた城壁都市になっております。 ![]() ![]() |
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延々と続く城壁と要塞 ![]() |
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城壁は、このように旧市街をぐるりと囲んでおります ![]() ![]() |
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旧市街の中には教会や宮殿、市庁舎などが凝縮されております ![]() ![]() |
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狭い石畳の路地は中世にタイムスリップしたように思います あまりにも有名なクロアチアのドブロヴニクよりも、まだ一般的ではない ここ、モンテネグロのコトル旧市街の方が、なぜか心落ち着きました。 ![]() ![]() |
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左:聖トリフォン大聖堂 教会広場では新婚さんが記念写真を撮っておりました。 ![]() ![]() |
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城壁、要塞の遠景 ![]() ![]() |
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聖母教会と城壁・要塞の遠景 ![]() |
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モンテネグロの古都コトルのムービー
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