ルーマニア:前半

首都:①ブカレスト → ②ブラン → ③ブラショフ



ルーマニアと言えばドラキュラ・ブラン城、体操の妖精コマネチ

共産主義独裁者チャウセスク元大統領などを連想します。

ガイドブックによると

東欧の中で唯一ラテン民族の血筋を引いているのがルーマニア。

陽気で明るい国民性であることが特徴との事です。

ちなみにヨーロッパのラテン系の国としては、イタリア、フランス、

スペイン、ポルトガル、そしてルーマニアがあげられます。

古代ローマ帝国・トラヤヌス皇帝の時代に

ローマ帝国の領土(属州)になり、現在の国名は

その時の状態である【ローマ人の土地(国)】を意味します。

ルーマニア人は、バルカン半島のドナウ川以北では

唯一のローマ帝国領土で・ローマ人の子孫であることに

誇りを持っているとの事でした。

国歌の歌詞にもローマやトラヤヌス帝が登場します。

ルーマニアと南のブルガリアとの国境はドナウ川

国の中央をカルパチア山脈が占めています。

国土面積は日本の本州とほぼ同じ。

人口約2,000万人。首都はブカレスト。宗教はルーマニア正教カトリック

注:記載の数字などは日本外務省のHPから転載いたしました。



ルーマニア国歌









ルーマニアをほぼ南北に、ブカレストを出発しピエルタンまで行き、

またブカレストに戻るコースを数字順に巡りました。
 





 
ルーマニアの首都がブカレスト(Bucuresti)。

カルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東部に位置し、

人口は約188万人。20世紀初頭までは”バルカンの小パリ”と

称されるほど美しい街並みだったそうですが、現在では旧市街と

凱旋門に続く通り沿いだけが当時の面影を残しているとの事でした。

チャウセスク元大統領が率いる共産党時代に教会や歴史的建築物は

ことごとく破壊されたとの事、非常に残念。



首都ブカレストの位置関係
(Googleマップより転載)




ブカレスト市街











共産主義独裁者ニコラエ・チャウセスクの夢のあと[国民の館]

アメリカ・ペンタゴンに次いで世界二番目の床面積をもち、地上10階、地下4階

3,000以上の部屋、50基のエレベータ、3,000以上のクリスタル・シャンデリア

大理石の部材(模造品の噂あり)、見せかけ上の贅を極めた装飾の建造物。

革命後アメリカのマイケル・ジャクソンがチャウセスク元大統領が演説したかった

同じバルコニーから大勢のファンに呼び掛けた第一声

ハロー・ブダベスト

大勢のファンは、これには、さすがに、ずっこけたそうです。

マイケルにとって”ブタペスト”も”ブカレスト”も似たような街だったかな?





[国力は即ち人口なり]の人口増加政策を実施し

多くの子供を産ませ、奨学金を与えたが

いびつな政策は破綻し1,989年の革命でチャウセスクは

公開処刑されました。

食糧不足発生、多くのストリートチルドレンが生まれ

今でも、ブカレスト北駅のマンホールの中で生活しているらしい。






国民の館の正面向かいの統一大通り。フランス・パリのシャンジェリジェ通りを

模して作られたらしいが、人通りが少なく、エレガントさも感じられず

パリのシャンジェルジェとは何か違います。






統一大通りの両サイド手前は共産党幹部用として

建てられた住宅

 






左:自由の羽のモニュメント  右:ナポレオンが造らせたパリの

シャンジェリジェ凱旋門を模して作れた、凱旋門
(いずれもバス車窓)
 





右:旧共産党本部前の革命広場に建つ、革命で亡くなった人々の

慰霊碑(2005年建立)

 





ブカレスト旧市街には歴史的な建造物が多々残っておりました。

ブカレスト大学図書館とカロル1世騎馬像


(イタリア語カルロ、英語カール、スペイン語カルロス、フランス語シャルル、

ハンガリー語カーロイ、なお女性形はシャルロット)





旧市街の街並み
 





賑わうブカレスト旧市街





旧市街の一角にあったローマ遺跡

ローマ人の子孫を自負するルーマニアですが遺跡の

保存努力・状態は今一でした。

 






クレツレスク教会

18世紀創建のルーマニア正教・教会。二つの尖塔が特徴的です。

革命広場にぽつんと建っている感じでした。

でも、訪問時も信者たちが一心に祈りを捧げておりました。





左:教会の正面  右:通りに面した教会の裏面
 





入口ポーチの天井には、善と悪を裁く神の姿など、聖書の場面が

フレスコ画で、びっしり、きれいに描かれておりました。


礼拝堂内部の写真撮影はNGでした。






聖スタブロポレオス教会

尖塔が一つ。ルーマニア独特のブルンコヴァネスク様式の

ルーマニア正教・教会。1724年創建でブカレストでは最も古い教会の一つ。

外観にはフレスコ画で聖人肖像画がぐるりと描かれております。





外観周囲を飾る聖人フレスコ画
 





幸いにもノーフラッシュで内部撮影が許されました。

素晴らしいフレスコ画が内壁全面に施されております。

素晴らしく・美しく・豪華な・マリア様のイコンが印象的でした。






教会の中庭と回廊。

手前の石柱は墓標ですが、さりげなく、モニュメントぽっくて素敵です。






ルーマニアの首都ブカレストのムービー





 
 

”吸血鬼ドラキュラ”の居城モデルが、このブラン城。

ブチェジ山麓・ブラン村の岩山の上にそびえる典型的な中世の城砦。

1377年ドイツ商人によって築城されたもの。

ワラキア平原から侵入するオスマントルコ軍監視用城塞でした。

14世紀末にはワラキア公ヴラド1世がここを居城にしました。

ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュはヴラド1世の孫。


ヴラド・ツェペシュはオスマン朝軍の兵士を杭で串刺し刑に処した。

ちなみに、ツェペシュはルーマニア語で”串刺し”を意味します。


 










入口方面から見るブラン城。岩盤の上に築城されております。





城内から見るブラン村遠景。

城は交通の要所に位置しております。手前の赤い屋根は旧税関所。






右は例の串刺し公ヴラド・ツェペシュ

現地の人は決っしてドラキュラとは言わず、憎っくきオスマン軍を

やっつけた英雄として、高く評価されております。

 





ここブラン城はルーマニア一番の観光名所で、国内外からの

観光客が順番待ち。おすな、へしなです。

現在城は個人(旧王族の末裔)が所有・管理中とか・・・











城の内部の一例。左:カードの部屋。右:読書の部屋
 





ここにある王冠・王笏・宝珠は勿論レプリカ

本物はブカレスト国立博物館に厳重保管・管理されております。

 





中庭を囲む回廊
 





中庭の井戸。

垂れ幕の位置にエレベータを新設工事中











ブラン城(別名ドラキュラ城)のムービー 







トランシルヴァニア地方に位置するルーマニア第2の都市。

中世の街並みを残した美しい街でした。古き良きヨーロッパでしょうか。

ブラショフの町の中心に位置する[黒の教会]や[スファトウルイ広場]など

見どころ満載のブラショフでした。

ブラショフは別名クローンシュタット(ドイツ語)とよばれ中世はザクセン人

(ドイツ移民)により洋々な職人ギルドで維持された塔を含めた要塞が

建設され現在、要塞の一部が復元されつつあるそうです。

下図は1666年発行の本のクローンシュッタト市街挿絵。

注:ウイキペディアより転載させて頂きました。






ブラショフの現在の市街地

 





ブラン村からブラショフに移動

ブラン村からブラショフに向かう街道は別名城塞街道と呼ばれ、

いくつもの城塞をバス車窓で見ることが出来ました。

下のルシュノフ要塞は、ドイツ騎士団が資金を出し13世紀に築城したもの。

当時はオスマン帝国軍等異民族が大きな脅威になっておりました。

常時、水・食料が備蓄され、村人は1ケ月以上籠城可能だったらしいです。

 





下はルペア(Rupea)城塞。

村人のザクセン人(ドイツ移民)が資金を出し合い14世紀に築城したものです。

 




ブラショフに到着

やがてバスは目指す城塞都市ブラショフに来ました。

トゥンパ山頂(865m)に、ハリウッドならずBRASOVの

大きな立て看板が見えてきました。






ブラショフの旧市街中心部へは、この城壁の城門であるスケイ門を通ります。

中世・城壁内の住居者はザクセン人(ドイツ人)、ハンガリー人、お金持ちのユダヤ人

専用で原住民のルーマニア人は城壁外が住居区でした。

当時のルーマニア人は城壁外の居住地区でオスマントルコ軍、モンゴル軍等の

異民族の襲撃の恐怖にさらされながらの毎日だったそうです。なんと理不尽な!

地元のルーマニア人が城壁内に住めるようになったのは第一世界大戦後から

との事でした。




城壁の城門:スケイ門
 





ブラショフ市街
 





ブラショフの旧市街に入ってきました。後方にBRASOVの看板が見えます。
 




黒の教会

ブラショフの一番の観光名所は、この黒の教会

以前の教会に代わり1477年にザクセン人(ドイツ人)により創建された

福音派(プロテスタント・ルター派)の、ルーマニアでは最大の教会。

1689年のオスマン帝国とハプスブルグ帝国の戦争時、大火の煙で

外壁が黒くなったので黒の教会と呼ばれております。






ゴシック様式の教会です。有料で内部撮影可能でしたが

混雑していて、内部撮影は断念しました。






左:最近修復された時計塔の文字盤  右:ゴシック様式の外観
 





神に届けとばかりに青空に向かう時計塔・鐘楼





一方こちらは、観光客で賑わうスファトゥルイ広場


広場に面して建つ、時計塔は旧市庁舎


晴天・さわやか気候。大勢の観光客で賑わっておりました。
 
 





こちらはメインストリートのレププリチ通り。ごらんような混雑



でも、ちょっと路地に入ると、このように閑静で素敵な場所が広がります。

いや~、ルーマニアのブラショフは素晴らしい所でした。
 





古都ブラショフのムービー





 

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