美しき中欧4ケ国 周遊10日間


チェコ


(前半)
 
チェコ

1993年スロバキアとの連邦体制を平和的に解消しチェコ共和国とし現在に至ってます。

ヨーロッパのほぼ中心に位置する内陸国です。

国土面積は日本の約5分の1弱、人口約1,053万人。

EU加盟国ですが通貨はチェココルナでした。しかし観光客の買い物はユーロでOK。

(1チェココルナ=5.13円、1ユーロ=27.3チェココルナ)

電圧は220Vまたは230Vの50Hz。プラグは2本足のCタイプ。

チェコ人(スラブ人種)が約96%、その他スロバキア人、ウクライナ人、

ドイツ人、ロマ族など。宗教的にカトリック教は約10%、その他・・・・・

ボヘミヤ地方の豊富な石炭をバックグランドに

産業革命による工業化が著しく発展し

中央ヨーロッパ有数の工業国になっております。



文中の統計数字は日本外務省HPから引用させていただきました。






チェコ・前半:首都プラハ

プラハ歴史地区、プラハ城、聖ヴィート教会、旧王宮、黄金の小径、カレル橋

14世紀、カレル4世のもとでプラハは黄金時代を迎えました。

この頃に現在の偉容が完成したプラハ城は、まさにプラハのシンボルでした。



 プラハ歴史地区
首都プラハはヴルタヴァ川(私はモルダウ川の方がピ~ンときます)の

東岸に位置する旧市街から南の新市街にかけて、さまざまな

時代様式の建築物が残り世界文化遺産になっております。










プラハの街並み
 
 
 





左:プラハ旧市庁舎・仕掛け時計塔、中央のゴシック様式屋根はティーン教会
 
 





旧市街広場に面する聖ミクラーシュ(聖ニクラス)教会

白亜のファザードが美しいですね

 





観光客(自分もそうですが・・・)でにぎわうプラハ旧市街広場

奥の銅像はボヘミア出身・宗教改革(プロテスタント)指導者ヤン・フス像

 





プラハは路面電車(トラム)路線が充実しており、新旧車両が頻繁に走ってます。
 





プラハ市街遠望、中世の姿を今に残す美しい街並みでした
 
 










プラハ城

プラハは中世・神聖ローマ帝国の時代も首都であり

ここプラハ城は神聖ローマ帝国皇帝の居城でした。

城の長さが580メートルもある世界で最も大きい城のひとつだそうです。

9世紀に建設開始14世紀に現在の形になったプラハ城

完成までに6世紀もかかった巨大・壮大な城でした。

丘の上に建つプラハ城内には聖堂が2つ、修道院、王宮、離宮、

庭園、家々、広場がありプラハ城は一つの街として構成されておりました





日本とチェコの友好交流のため(?)入城門の衛兵と記念写真





左:衛兵が守る正門上の怖いモニュメント  右:正門入ってすぐのプラハ城・第一の中庭
 





さらに進むとプラハ城・第二の中庭です
 
 
 





天井の曲線状梁が美しい王宮・大広間(ヴラディスラフ・ホール)

戴冠式も行われたという大広間です






議会の間のハプスブルグ帝国・マリア・テレジアと恋愛結婚したフランツ一世の肖像画

マリア・テレジアは16人もの子供が授かりました。詳細はここをクリックです






聖ヴァーツラフ王冠

重量:2.36kg、19個のサファイア、1個のスピネル、30個のエメラルド、20個のパール

展示品は勿論レプリカ。実物は聖ヴィート大聖堂・奥深くの宝物庫で厳重保管中






プラハ城全景
 





プラハ城とモルダウ川のさざ波

ボヘミアの森を源流とするモルダウ川(はドイツ語でチェコ現地ではヴルタヴァ川)は

プラハ城下を流れ、北海へと注いでおります。






聖ヴィート大聖堂

プラハ城・第三の中庭に位置しております

正式名称:聖ヴィート・聖ヴァーツラフ・聖ヴォイテフ大聖堂

プラハ城に入城するとデーンと大きくそびえ立っております

多くのボヘミア王の墓を有し、チェコでは最も大きく重要な大聖堂





 





  





聖ヴィート大聖堂のファザード、薔薇窓、美しいステンドグラス
 





聖ヴィート大聖堂のステンドグラス(部分)、下図はミュシャの作品(クリムトの作風と似てますね)





聖ヴィート大聖堂の美しいステンドグラス(部分)
 





聖ヴィート大聖堂の礼拝堂内部、豪華絢爛でした





聖イジー教会 

プラハ城・第四の中庭に位置しております

プラハ城内では二番目に古い教会で、現存する教会として

最古の教会。920年ベネディクト修道院の一部として創建された

レンガ色の美しいロマネスク様式の教会です。

ちなみに聖イジーはドイツ語では聖ゲオログ、英語ではセント・ジョージ

むっ、むっ~難しい





悪魔の化身・龍を退治する聖イジー像

ヨーロッパでは龍はなぜか悪者扱いですね。

ドイツ・ローデンブルクのマルクト広場の聖ゲオログ噴水像はここをクリック






黄金の小路
広大なプラハ城の端っこに”黄金の小路”と呼ばれる、何とも豪華な呼び名の

横丁があります。金箔で舗装された道路がある訳ではありません。

かっては城の番兵たちの小屋、長屋だったところに16世紀、ボヘミア国王

ルドルフ2世がここに錬金術師たちを住まわせた事からと言われております。

現在はかわいいショップやかっての住まい内部を再現しております。
 










左:ショップ  右:かっての番兵小屋住まいの内部の再現
 





部屋も通りも、このように狭く、まさに小路です
 
     





カレル橋
プラハを流れるヴルタヴァ(モルダウ)川に架かる橋です。

橋を守る3つの橋塔があり、橋の欄干には15体ずつ、合計30体の

聖人像が並んでおりました。橋の上では露店、大道芸、見世物、

音楽演奏などが行われ、多くの観光客で賑わっておりました。





モルダウ川(現地チェコ語ではヴルタヴァ川)に架かるプラハ最古の橋が”カレル橋”です。

ボヘミア王国・国王カレル4世(ちなみにカレルはチェコ語。カレル4世は

カール1世として神聖ローマ帝国皇帝を兼任しておりました、私の年代としては

カール1世の方が親しみやすい?、ちなみにフランス語ではシャルル))

の命により1402年に完成した重量感がありながらも、美しい石橋です。

下の写真は、旧市街側橋塔のわきで睨み利かせている

神聖ローマ帝国皇帝カール1世(ボヘミア国王カレル4世、洗礼名はヴァーツラフでした)
 
 





カレル橋とプラハ城





旧市街側橋塔から見たカレル橋とプラハ城





カレル橋の上から見たモルダウ川上流側(左)と下流側(右)
 





左:カレル橋お城側橋塔(マラーストラナ)、  右:旧市街側橋塔
 
 





観光客でにぎわうカレル橋
 


カレル橋の聖人像写真への入り口





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