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オーストリア=ハンガリー帝国+チェコとの合併の後
ビロード革命による共産党政権崩壊を経て、
1993年チェコスロバキアから分離独立して現在のスロバキア共和国に至ってます。
国土は日本の約7分の1。人口約543万人。首都はブラチスラバ。
国土の大部分は山岳地域で占められているとのことでした。
人口の約80%がスラブ人。国名のスロバキアは、このスラブからきております。
EU加盟国で通貨はユーロでした。人口の約60%はローマ・カトリック教徒。
電圧:220Vまたは230Vの50Hz。プラグは2本足のCタイプ。
(文中の統計数字は日本外務省HPから引用させていただきました)
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スロバキアの首都がブラチスラバです。ドナウ川に面しております。
かってはハプスブルク帝国の首都になったこともある歴史的に重要な町です。
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ブラチスラバ城 |
スロバキアの首都ブラチスラバのランドマークがブラチスラバ城です。
四角形の城で、四隅に見張り塔がある外観から”ひっくり返したテーブル”と呼ばれています。
1646年頃に現在の外観が完成し、ブラチスラバはハンガリー王国(当時はハンガリー領でした)の
首都となり、城はこの町の象徴でした。
18世紀にはハプスブルグ女帝マリア・テレジアの居城にもなりました。 |

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城の左下の白い建物は国会議事堂

青空に突き刺さる四隅の見張り塔

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屋上にはためくスロバキア国旗

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城内の庭園

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城の展望台からの眺め
手前の川がドナウ川、川に架かる橋は”新橋Novy most”で1970年共産圏時代に造られました。
橋脚の上にはUFO形・展望レストランがあります。
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ブラチスラバ城とドナウ川のさざ波
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ブラチスラバ市街散策 |
左:路地から見えるお城 右:にぎわうフビェズドスラボボ広場
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左:木工品お土産の露店 右:ナポレオンと談笑するおばあちゃん達 |
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ブラチスラバ旧市街メインストリートのヴェントゥルスカ通り
正面の塔はミハエル門
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街のあちこちに、このようなブロンズ像がありました
右のブロンズ像は有名な”配管工の像”で通称”見つめる君”
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旧市街にあるオペラ座 国立フビェズドスラフ劇場
フビェズドスラボボ広場に面しております
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聖マルティン大聖堂
歴代の国王の戴冠式はここで執り行われました。
普通、教会の尖塔の先端は十字架で飾られておりますが
この教会は戴冠式が行われた教会である事から
王冠のレプリカで飾られております。
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ハプスブルグ帝国のマリア・テレジアも24歳(1741年)の時、ここで戴冠式を行いました。
ここの教会での戴冠式ではベートーベンやリスト等有名な作曲家がミサを指揮しました。
ブラチスラバはスロバキア語、ドイツ語、ハンガリー語を話す人が混在しているため
日曜日のミサは上記の各言語とラテン語での計4回行っているそうです。
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ミハエル門
14世紀~15世紀には城塞都市だった旧市街の周囲は城壁と4つの門で
囲まれておりました。しかし町の整備拡張のため18世紀マリア・テレジアなど
により城壁と3つの門が撤去され、唯一残ったのが、ここのミハエル門です。
ここはミハルスカー通り
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撤去された門のメモリアル・プレート
左:この場所には13世紀に門が建てられ17世紀に取り壊されたとあります。
右:この場所には14世紀に門が建てられ1777年に取り壊されたとあります。
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中央広場
正面尖塔付きの建物は旧市庁舎で現在は市の歴史博物館
右側の緑壁の建物(旧貴族の館)の2~4階は日本大使館。1階は店舗になっております。
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中央広場に面する緑壁の建物が日本大使館、右端の白壁はギリシャ大使館

左:モーツアルトが6歳の時、この館(現オーストリア大使館)で演奏したとするメモリアルプレート
右:リストが9歳の時(1820年)この館(現ブラチスラバ大学図書館)でデビューしたとするメモリアルプレート |
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左:商店街にいた、マリア・テレジアの等身大人形
右:ミハエル門アーチ上部に表示されている”マリア・テレジアが
ここに来た”とするラテン語表記のメモリアルプレート
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ブラチスラバ旧市街への入り口ミハエル門
14世紀に造られたものでこの塔の内部は、現在中世の武器博物館になってます
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スロバキアの首都ブラチスラバのムービー |
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