ヨルダンの首都アンマンと 世界遺産ペトラ遺跡


ヨルダン・ハシュミット王国の国旗


ヨルダンの正式国名

アル=マムラカ・アル=ウルドゥニーヤ・アル=ハーシミーヤ

すなわち

預言者ムハンマドの子孫であるハーシム家の王国ヨルダン

を意味する国名が正式国名だそうです。(現地ガイドのジャーミルさんの説明から)






ペトラ遺跡



ヨルダン南部にあるペトラ(英名:Petra)は、
ギリシャ語で[岩]を意味します。
紀元前2世紀頃、ベドウィン(遊牧民)の一族ナバテア人が
築いた王国の首都が、ここペトラです。
ペトラの西にガザ、北にダマスカス、死海にも近く、
中東での人や物の行き交う要衝の地であり
砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったようです。


ヨルダン川の谷と死海の東を南北に走る幹線道路で
アカバ湾のアカバからペトラを経由して
アレッポに至る道は古代の通商路の一つ[
王の道]と呼ばれ旧約聖書
(昔のまた昔、その昔、預言者モーゼたちが出エジプトの際、
当時のヨルダンにあった王国の領土(王の道)を
通ることを拒否された・・・等々で)にもその存在が記載されているそうです。
数千年の歴史をもつ世界最古の通商路であり、
この道沿いには数多くの王国が群雄割拠していた
ことから、この王の道という名前がついたようです。
一方[
砂漠の道]は現代の道で、アンマンとヨルダン唯一の
港アカバを結ぶ全線舗装された
ヨルダンの交易を支える重要な道路(ハイウェー)です。
今回、アンマンからペトラまでは、こちらの[砂漠の道]をバス移動しました。



          

 





ヨルダンの首都アンマンからバスでペトラに移動しました。

途中 モーゼの泉(アインムーサ)を見学。

モーゼが杖で岩をトントンとたたいたら泉がわき出たといわれている泉の一つ。

昔も今もペトラの生活用水源になっております。

宿泊はPETRA PALACE HOTELで2連泊。











そしていよいよ世界遺産ペトラ観光です。

ゲート入口からシーク入口まで全員乗馬移動です。

馬上からの景色に酔いしれインディー・ジョーンズになったようで、気分は最高。


パカパカと馬にゆられて行きました。途中左にオベリスクの墓があります。









遺跡の入り口付近まで行ったら突然ナバタイ人兵士が現れ

捕虜の身となった(?)






お賽銭箱に1ドルを入れナバイ人兵士から無事解放されて

シークとよばれる岩のさけ目を徒歩で約50分移動します。

シークの幅は場所により約3m。高さは91mから場所により182mに達する。








シークでは高低差を利用した水路、雨水貯蔵用ダム(修復したもの)などを見ることができました。

土木技術の高さに驚きました。

ナバタイ人たちが崇拝したドゥシャラ神を祀った跡など、昔の生活を物語る跡が

次々と出て来て興味をそそります。

どこからともなく猫が現れ[ペトラちゃん]と命名しました。







この狭いシーク(岩の峡谷=岩の裂目)をぬけるとエル・ハズネ(宝物殿)に行き着きます。

宝物殿の名が付いておりますが実際には王様のお墓だともいわれ、

今でも様々な謎に包まれております。

薄暗いシークを抜けると朝日に照らされエル・ハズネが、

何とも言えない感動を与えてくれました。





シークごし見える、朝日に輝くペトラ遺跡:エル・ハズネ



ここペトラは、元々アラブのベドウイン(遊牧民)が

紀元前2世紀頃に造った秘密の要塞。


最古の通商路の一つである王の道としての交易で

中継都市として栄えたが紀元108年ローマ帝国の侵攻・治世により

ナバティア王国の首都としてのペトラの幕が閉ざされました。

なので、ペトラ遺跡には旧ローマ帝国時代の円形劇場や

列柱通り、石畳などもありました。

1812年、スイス人探検家のヨハン・ブルクハルトによって、

長い眠りについていたペトラが発見され

現在ではヨルダンの最高人気の世界遺産になっております。

遺跡の発掘は今も続いておりました。


シーク(太古の地殻変動での断層のずれ、地震、風雨浸食などでできた、

岩のさけ目)を歩くこと約50分

突然視界が開け朝日に輝くAl Khazeh(エル・ハズネ=宝物殿)が出現。

砂岩をくりぬいた建築技術、高低差を利用した土木・用水技術など

古代人の技術の高さに

感服しました。すご〜い! 素晴らしい!






左:シーク(岩のさけ目)の入り口付近、

中央:エル・ハズネへの出口付近のシーク、

右:エル・ハズネから見たシークの出口

   



現地の新婚さんカップルか? イスラム教徒の既婚女性は黒覆面衣装で外出し、目しか出さない。
  



エル・ハズネをさらに上ると、すぐにペトラ名産のサンド・ボトルのお土産や香辛料屋があります。

ペトラ一帯の砂岩は7色の層になっているため、これらを利用してサンド・ボトルが造られます。

岸壁の窪みは日差しが遮られて、現地ベドウインの休憩所になっております。










ペトラ遺跡の中にあるレストラン(BASIN)でビュッフェの昼食。

スイカが旬で、とても甘かったのが印象に残っております。

昼食後は約850段の石段を上りエド・デイル(修道院)へと向かいました。





エル・ハズネから昼食会場レストランまでの間には、旧ローマ帝国支配時の遺跡

円形劇場、列柱回廊、凱旋門、石畳などを見ることができました。





ペトラの古代ローマ遺跡
ペトラのナバタイ王国は広大な貿易ネットワークを
築き、香料、乳香、没薬などのキャラバン交易を
独占し大きな富を得ていたようです。
しかし紀元前3〜1世紀ここペトラにもローマ人が
入り込み108年にペトラはローマ帝国に併合されたとの
ことでした。そのためペトラにはローマ時代の神殿や
ローマ劇場、列柱通りなど多くの遺跡がありました。


ペトラ遺跡の中の古代ローマ・神殿遺跡






ペトラ遺跡の中の古代ローマ・列柱通り遺跡






ペトラ遺跡の中の古代ローマ・円形劇場遺跡





ローマ時代の想像図(其の1)
作図:MS Copilot





ローマ時代の想像図(其の2)
作図:MS Copilot







エド・デイル(修道院)へは約850段の石段をゆっくりと上ってゆきます。

ツルツルの石段は滑るので、一歩一歩確実に踏みしめ上りました。





エル・ハズネ(宝物殿)からエド・デイル(修道院)をめざし石段を上って、

ふと後方をふり返ると、このような景色。

決して楽な道ではありませんでしたが、眼下に広がるペトラ全体を見渡せるこの景色!

積もる疲れを吹っ飛ばしてくれました!






やっとたどり着きました。エド・デイル(修道院)です。

エル・ハズネ(宝物殿)より規模は大きく感じました。












エド・デイルをさらに上ると、いくつかの展望台へ行けます。

ヨルダン国旗が掲げられた展望台(頂上)からは草木一本もない荒涼とした

山並みがはるか地平線まで延々と続いておりました。



夜になるとエル・ハズネの広場では、ろうそくが無数にともされてベドウインの縦笛演奏などが行われました。

とても幻想的な空間となりました。これをペトラバイナイトと言うそうです。



闇夜に浮かぶ無数のろうそく灯り。紙袋にろうそくが入っているだけです。

これを一つ一つ並べて火をつける大変な手間にも感動しました。

今回参加されたメンバー

新婚さん一組、40代後半のご夫妻一組、60代前半のご夫妻一組

その他は一人参加またはグループ参加で合計19名でした。

添乗員の海老原さん(前列右端)と現地ガイドのジャーミルさん(前列中央赤Tシャツ)


本日の夕食はレストランAL.QANTARAHです。

前菜、マクルバ(逆さポットの中にリゾットが入っているもの)、魚の煮込み、

ズッキーニとナスの煮込み、デザートはスイカでした。


ペトラ遺跡をみわたすと、岩と砂くらいしか見えてくるものはないのですが

その岩こそが、その微妙な色の変化や様々な模様こそが、とても魅力的なものでした。

いや〜 世界遺産ペトラに大満足の一日でした。








ヨルダン世界遺産ペトラのムービー
をクリックすれば再生開始します。









ヨルダンのペトラ遺跡とトルコのリキヤ文明


紀元前2,000年頃、アナトリア(現在のトルコ・小アジア)に独立国家を築き

ギリシャ人に優るとも劣らないリキア人によるリキヤ文明が有名です。

なかでもリキヤ人は人類最初の民主主義的なリキヤ連盟を構築し、それが

現在の民主主義の原典になっているそうです。

そのリキヤ人の岩窟墓地が下の写真ですが、外観を見るかぎり

ここヨルダンのペトラ遺跡群と発想や構造が良く似ています。
 

ツアーの実際の行程としては、この後一旦ヨルダンを出てイスラエル・エルサレムへと向かいます。

しかしページ構成上イスラエルからヨルダンへ再入国しヨルダン領・死海での浮遊体験、

ヨルダン・ネボ山、帰国の各ページへと続けさせて頂きます。ご了承のほどよろしくお願いします。

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