トルコの(後半)は パムッカレ、ヒエラポリス、エフェソス、トロイの遺跡、 トプカプ宮殿、アヤソフィア、ブールーモスク へと続きます。 |
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パムッカレ パムッカレとはトルコ語で[綿の宮殿]という意味だそうです。 昔、この辺一帯は綿の生産地帯だったとのこと。 現在は、この辺一帯の地下水が地熱で温められて地表に 湧き出て温泉となり、その温水中からの石灰が沈殿して 純白の石灰棚の景観になっております。 |
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小さい池が連なっております |
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棚の上部から下部に鉱泉が流れて、このような石灰棚になりました |
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ヒエラポリス遺跡 パムッカレの石灰華段丘の一番上にある 古代ローマ帝国(2世紀頃)の遺跡。 古代ローマ帝国時代は温泉保養地として栄えたそうです。 |
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左の写真は市役所の入口跡、右は円形劇場跡 |
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古代ローマ帝国は、都市に例外なく円形劇場を造りました |
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特筆すべきは水道も整備されていたことです。驚きです!右はその水道の水路 |
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ヒエラポリスの遺跡に咲いていた可憐なお花 |
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エフェソス アルテミス崇拝で知られたギリシャ人都市です。 この遺跡のある場所は、もともとは湾港都市だったらしいが 湾岸への土砂の堆積により現在では海岸から かなり離れたところにありました。 |
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北海道からご参加、鮭とり名人の石田さんご夫妻と 古代ローマの属州であってもここエフェソスでは 公衆水洗トイレが完備されておりました。古代ローマの文化凄すぎ 右)ローマ人は属州といえども都市には円形劇場(闘技場)を造りました。 クレテス通り:両側の列柱が当時の栄華をしのばせます。 |
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宿泊ホテル:グランド・テミゼル(アイワルクにある5星ホテル) エーゲ海オーシャン・ビュー・テラスから見えた エーゲ海に沈む太陽とエーゲ海から昇ってくる太陽 |
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左遠方にうっすら見えるのはギリシャ領のレスボス島(レス☆アンの起源?) |
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ホテルの大きなプールに沈みゆく夕日、真っ赤な夕焼けが印象的でした。 |
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こちらは朝日。天気晴朗にしてエーゲ海に波は無し。 |
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トロイの遺跡 トロイ(トロイア)戦争についてはここをクリックです そもそもトロイとは神話程度にしか認識しておりませんでした。 実在していたことは、ここに来て初めて知りました。 汗(^-^);汗 現地ガイドの説明によると トロイの遺跡は初期青銅器文明の紀元前約3,000年から ローマ時代の紀元前334年まで、大きく分けて9層からなる 複雑な都市史跡(っと言うか城塞)になっているそうです。 |
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トロイの古代遺跡はエーゲ海ダーダネル海峡にほど近い田園地帯にありました。 |
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トロイの木馬:勿論これは客寄せ用に最近作ったもの 中に登って行き窓から顔を出して記念写真撮れます。 |
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9層になっている遺跡の様子、トロイは都市と言うより城塞だったらしいです。 |
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トロイ=英語、イリオス=古代ギリシャ語、イーリオス=ギリシャ神話に登場している都市名 |
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トプカプ宮殿 オスマン帝国の君主(=皇帝=スルタン)が居住した宮殿で イスタンブール(旧名:コンスタチノープル)旧市街のある半島の 先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた 戦略的要所の丘の上にあります。 宮殿はどっしりとした構えになっているし、 まばゆい金銀財宝が多量に展示されておりました。 かってのイルラム・オスマン帝国の強大さが伝わってきました。 しかし大変残念なことに展示物の撮影は厳禁でした。至極残念! o(:-:)o |
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ボスポラス海峡を望むトプカプ宮殿 バルコニーで記念写真 |
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アヤ・ソフィア(聖なる知恵) 東ローマ帝国(=ビザンチン帝国)時代に正統派キリスト教(=正教会)の 教会として創建されたもので、当時帝国第一の格式を誇る大聖堂であった。 しかしその後東ローマ帝国はイスラム・オスマン帝国に征服され、この大聖堂は モスク(=イスラム教の礼拝堂)に改築されて使用されてきました。 尖塔(ミナレット)が4本もあるモスクでしたが、現在は博物館になっております。 |
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ミナレット(尖塔)が4本のアヤ・ソフィア |
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下の小さい写真の上をタッチすれば拡大し、クリックすればページ・トップへ飛びます。 | |||||||||||||||||||||||||
きらびやかな内装、豪華な天井。 | |||||||||||||||||||||||||
モスクの漆喰を取ったら元の教会のモザイク画が出現した。 | |||||||||||||||||||||||||
ステンド・グラス(教会)とアラビア文字(モスク)の装飾が混在しております。 | |||||||||||||||||||||||||
ブルー・モスク(正式名:スルタン・アフメト・ジャーニー・モスク) モスク内部の数万枚の青い(=トルコ・ブルー)タイルが白地にさえて その色調がとても美しいことからブルー・モスクと通称されています。 巨大なモスクでした。日に何度か礼拝が執り行われておりました。 なんと、ミナレット(尖塔)が6本もありました。 |
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ミナレットが6本もある(6本は世界のモスクでもここだけ)ブルー・モスク |
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イスタンブール旧市街のトプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルー・モスクおよび ボスポラス海峡、マルマラ海との位置関係は下の地図のようになっております。 |
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ミナレットが6本の威容を誇るブルー・モスクの全景と中庭。 | |||||||||||||||||||||||||
ブルーのタイルが美しい礼拝堂内部。 |
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だだっ広い礼拝堂内部ですが礼拝時には満員になり、とても厳粛的でした。 |
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ボスポラス海峡クルーズ 船内でサービスされたチャイ(甘い紅茶) |
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イスタンブール名物;サバ・サンド 最終日のホテル室内 |
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本場トルコのベリー・ダンス トルコでの最後の夜は本場トルコの ベリー・ダンス・ディナー・ショーを楽しみました。 |
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ベリーダンサー一番手:とてもリズミカルな動きでした。 |
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ベリーダンサー二番手:さすが本場、最高の舞でした。 | |||||||||||||||||||||||||
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