ドブロヴニク旧市街  
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ドブロヴニク:クロアチア語:Dubrovnik(樫木から由来)。

一方イタリア語では:Ragusa ラグーサ(岩場から由来)。

起源は古く、古代ローマ帝国時代もしくはそれ以前に

さかのぼるとされています。

[アドリア海の真珠]とよばれているドブロヴニクは

海上交通・交易の要所であるため古くはラグーサ共和国

東トーゴ共和国、ビザンチン帝国、ヴェネチア共和国の下での

保護都市国家であった経緯があります。

そして1808年ナポレオンの初の国家となるイタリア王国に統合されました。

しかしその後1814年ハプスブルグ帝国により占領されてしまいます。

近代においては1944年チトー元大統領の率いるパルチザンにより

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部になりました。

チトー元大統領亡き後はクロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を

経て、1991年独立し、現在のクロアチア共和国の中の

ドブロヴニクに至っております。

旧市街を良く見ると旧ユーゴスラビア連邦からの独立紛争時に

受けた旧ユーゴスラビア連邦軍の砲弾跡がいまだ見受けられました。

ほんの二十数年前までは、凄惨な内戦が繰り広げられていた

クロアチア、ドブロヴニクでしたが、

今では平和で美しい街並みに復興し大感激しました。

注)このページの内容は添乗員さん、現地ガイドさん及び観光パンフレットなどから引用させていただきました。
ピレ門
昼のピレ門


ピレ門の夜景
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ドブロヴニク旧市街の城壁には
西部にピレ門、北東部にプロチェ門
北部にブジャ門、そして海沿いに
ポンテ門と4つの城門があります。
その中でも一番大きな門がピレ門です。

この門は16世紀に造られたそうです。
敵の侵入防御、夜間の出入り制限のため
両脇の鎖で上下できる、木製の飛び橋に
なっております。

門の上部にはドブロヴニクの守護聖人
聖ヴラホの石像が
掲げられておりました。

オノフリオの
大噴水

城壁から見下ろせば・・・


蛇口の装飾。水はチョロチョロ


ピレ門を入ってすぐのところに
ドーム型の石造りで
周囲に16個の蛇口を配した
給水施設です。
この施設を設計したイタリア・ナポリの
建築士
オノフリオ・デッラ・カーヴァンから
その名前が付けられたとか・・・

周囲に川が無く雨の少ない土地柄では
住民の水の確保が最重要課題でした。
そこで当時のラグーサ共和国が
スルジ山北部の水源から水を引く
建設をオノフリオに依頼して完成した
のが、このオノフリオの噴水です。

現在でも蛇口から、
ほんの少しづつでしたが
水が出ておりました。

プラツァ通り
昼のプラツァ通り


夜のプラツァ通り

ピレ門の入り口から中心部
ルジャ広場まで
約200m続くドブロブニクの
メインストリートを
プラツァ通りといいます。

通りの両側にはカフェや銀行や
お土産屋さんなどが軒を
並べていました。
この通りは昼も夜も賑わっていました。

プラツァ通りと直角に狭い路地が
網の目のように延びています。

夜のプラツァ通りのオープンカフェで
頂いたクロアチア・ビール、
それは、それは美味しかったぁ~♪

フランシスコ
修道院
修道院全景と尖塔


正面のピエタ像
オノフリオ大噴水と向かいあって
建つのが14世紀創建の
フランシスコ会修道院です。

中にはクロアチア最古の薬局が
あるそうです。
現在も営業しているとのことでした。

中庭のロマネスク様式の
2本組柱回廊が有名です。
修道院にまつわる宝飾品が
展示されている
博物館にもなっています。

正面の素晴らしいピエタ像を見て
サンピエトロ大聖堂
ミケラジェロ作・ピエタ像を
連想し、その神々しさに
感動しました。
スポンザ宮殿 宮殿正面

後期ゴシック様式とルネサンス様式が
融合した宮殿とのガイドさんの
説明でしたが
一階部分がルネサンス様式で
二階部分が後期ゴシック様式かなぁ~?

16世紀の創建当初は造幣局や税関として
使用されていたようです。
現在は古文書館になっております。
聖ヴラホ教会 教会正面


手前は広場のローランド像
1715年に完成した
ヴェネチアン・バロック様式の
教会です。

その昔ヴェネチアの攻撃から
街を救ったことで聖ブラホは
ドブロヴニクの守護聖人として
この教会に祀られております。

この教会以外に旧市街の城壁や塔
などにも掲げられておりました。

聖ブラホ像は
長い髭の老人、司祭帽子、
手には杖の
姿になっておりました。

ローランドは中世カール大帝に
仕えた騎士で
自由の象徴として自由都市国家に
建てられることが多かったそうです。
またローランドの肘は51.2cmで
ドブロヴニクの肘として
長さ基準になったため
公共の場に建っているとのことでした。
大聖堂 大聖堂
ルジャ広場の南端に建つバロック様式の
教会で、1713年に再建された
ものだそうです。

宝物室には聖ブラホの遺骨を含め
数々の財宝が収められております。

聖母被昇天の迫力に
吸い込まれます。
ルジャ広場 夜のルジャ広場
旧市街の中心に位置するのが
ルジャ広場。
スポンザ宮殿、聖ブラホ教会に
囲まれた広場です。
広場中心にローランドの石柱が
そしてオノフリオの小噴水や
時計鐘楼などがあり、昼夜共とても
賑わっておりました。
オノフリオの
小噴水
オノフリオの小噴水
1438年公共水道が整備されたのち
プラツァ通りの東側、
ルジャ広場に面して1446年、
オノフリオ・デッラ・カーヴァンに
よって造られたものです。
旧総督邸 右側が旧総督邸


旧総督邸正面
かっては旧ドブロヴニク共和国の
総督邸だった建物で執務室、牢屋、
火薬庫が入っていたそうです。

総督とは選挙で選ばれた政治責任者で
任期はわずか1カ月。
任期中、公務以外で邸宅外に出ることは
できない制度だったとのこと。

扉の上に掲げられた記念碑に
ラテン語で
Obliti Privatorum Publica Curateと
刻まれています。
これは
[私事は忘れ、公共のために尽くせよ]
と言う意味だそうです。

現在は歴史文化博物館に
なっております。
ミンチェッタ
要塞
右奥がミンチェッタ要塞


要塞全景
旧市街の北西の角に位置するのが
ミンチェッタ要塞です。
ドブロヴニクの要塞の中で
一番目立ちます。

階段を上って屋上へ行くことが
できました。

旧市街の中では一番高いところに
位置するので海上からの
外敵見張台として
造られたものと思います。

実際、ミンチェッタ要塞最上階
からの眺めは
最高でした。
素晴らしかったです。
ボカール
要塞
ピレ門から見たボカール要塞
ドブロヴニク旧市街の
西南側の防御用要塞です。

基礎部分は天然の
岩盤になっております。
聖イヴァン
要塞
スルジ山頂から見た聖イヴァン要塞全景
1346年最初の四角い塔が桟橋のところに
建てられ南側で港を守っていました。
その後改築され16世紀に
完成したそうです。

現在一階は水族館、二階三階は
海洋博物館になっております。
ロヴィリイェナツ
要塞
ピレ門付近から見た要塞全景
海抜約37mの絶壁の
上に建つ要塞で
街の海側の防衛拠点。

この要塞と旧市街の
ボカール要塞で
ピレ門の前の湾を挟む
ようにしてあり、
敵船侵入防御の役割を
担っております。
旧港 スルジ山頂から見た旧港全景
ドブロヴニクのかっての玄関口は
聖イヴァン要塞に守られた
この港でした。

現在は近隣の島への
クルーズ船発着港に
なっておりました。
各要塞と
ピレ門の

位置関係

ドブロヴニク旧市街、新市街のパノラマ



城壁
遊歩道

一周約2kmの城壁上部を反時計回りの一方通行で巡ることができます。
城壁内旧市街の人口は約4,000人。


 

 

 

 
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