鶴と亀の旅物語 トルコ  (前半)

ヨーロッパのキリスト教国へは数カ国
行ったことがありますが、やはりイスラム教国の
イスラム文化にもふれてみたいと考え
2010年4月上旬エジプトと共に
ここトルコを旅してきました




エジプトから地中海を一っ飛びで
トルコ・イスタンブールへとやって来ました。 そして

トルコ・イスタンブール(オスマン帝国時代まではコンスタティノープルだった)⇒
アンカラ ⇒ カッパドキア ⇒ コンヤ ⇒ パムッカレ ⇒
エフェス ⇒ アイワルク ⇒ トロイ ⇒ イスタンブール
と周遊しました。

トルコ周遊は ▲ をクリックすれば再生開始します。

イスタンブール ⇒ トルコの首都アンカラ

ボスポラス海峡には第一大橋(イギリスが建設)と
第二大橋(日本のIHIが建設)がかかっていますが
更にオスマン帝国時代からの夢であった海底トンネルを
日本の大成建設が建設中だと現地ガイドが説明されておりました。

ボスポラス海峡における
第一大橋、第二大橋と海底トンネルとの位置関係地図


トルコ150年の夢

工事着工後苦節10年、2013年10月、世紀の大工事
ボスポラス海底トンネルは完成、開通しました。








ボスポラス海峡・海底トンネルの概要
注意)この図は大成建設のHPから転載させていただきました




海底トンネルの位置関係
注意)この図はNHKのHPから転載させていただきました。




オスマン帝国時代の海底トンネル構想図
注意)この図はNHKのHPから転載させていただきました。




ボスポラス海峡第二大橋をバスで通過中。
この橋は、日本のIHIが建設しました。
橋げたから朝日が昇ってきました。
ここが例のボスポラス海峡
本当に狭いです。
向こうが黒海側で
手前はエーゲ海、地中海へと続きます。
写真右側はヨーロッパ側で
左側が小アジア側。
ルメリ・ヒサル(ローマの城という意味
だそうです)
オスマン帝国のメフメト2世がヨーロッパ・
サイドに造営した城塞。
海峡に眼(がん)を利かせていた。
バスで移動中の車窓。
行く村々には必ずモスクがありました。
この村にも立派なモスクがあります。
尖塔(ミナレット)が2本もあります。
途中、このように万年雪をかぶった
エルジェス山(3,916m)が
見え隠れしました
また途中、牧草、麦、ブドウ畑、イチジク
等の果樹園が延々と続いておりました。
トルコは食料自給率100%だそうです。
スゴイ!
日本の農業行政は見習うべきところ多い。
アンカラ国鉄駅
正面入り口
トルコでは大きな公共施設は
必ず兵士が警備しておりました。
警備中の若いトルコ陸軍兵士と
友好記念に一枚撮りました。
ありがとうございました。
突然ですがトルコの
トイレ紹介(大の方です)
排水口が小さいので
トイレット・ペーパーは
流さないで、わきのかごに入れます。
こちら向きで用をたし、出たものは
ひしゃくに汲んだお水で流し去ります。
自分の出したものではありますが
慣れるまで超大変でした

トイレの話、続編
それでも、このようにトイレット・ペーパーを備えているトイレは
外国人用です。現地人用のトイレにはペーパーの無い所もあるらしい。
どうするのかって? それでは手順を示します。

@用をたす前に、取っ手付きひしゃくにホースからお水を汲む
A用をたす。済んだら、
B左手を(決して右手は使用しない)おわん形にしてひしゃくのお水を汲む
Cそのお水で肛門を洗い清める(達人は一回で出来るそうです)
D自分のタオルなどで肛門部の水分を拭き取る
E以上が終了したら身支度を整える
Fトイレを出るとき香料石鹸で手を洗う
G以上でスッキリ終了です。
ペーパーを使用しない健康的な洗浄方法なので
トルコの国民には[JI]の人が少ないらしい。

勿論、私たち外国人が宿泊するホテルのトイレは洋式水洗・ペーパー付です。
どうぞ、ご安心ください。
ただし、暖房便座+温水シャワレット+脱臭式トイレについては
どこを探してもありませんよ。 念のため・・・ ;(*^-^*);



豆知識:チューリップ発祥の地はトルコで、世界に広めたのがオランダ

アタチュルク廟

現代トルコの生みの父。アタチュルク(=ムスタファ・ケマル・アタチュルク)は
トルコ国民から最も尊敬を受けている人でした。
国語の文字をアラビア語からローマ字に変えたり
政教分離を断行して政治、社会、教育改革を強力に遂行した結果
トルコは急速に近代国家へと変貌発展したのだそうです。
それを称えて造られたのが、このアタチュル廟です。

アタチュル廟ではトルコ陸軍、海軍、空軍の3軍の精鋭が
警備しておりました。
トルコと日本の友好として陸軍兵士と記念写真
アタチュルク廟の全景です。
小高い丘の上に広々と
創建されております。
アタチュルクの石棺です。
大理石の豪華なものでした。
トルコ国旗が掲揚されているところが
入口です。
ここに限らず、トルコではいたるところで
国旗が掲揚されておりました。





 


 



 








 









アナトリア文明博物館

トルコ中央部アナトリア地方の文明、特に鉄の発明で
良く知られているヒッタイト時代の遺物を中心として
旧石器時代からギリシャ、ローマ、ビザンチン時代までの
収蔵品を幅広く展示しておりました。

特に感動したのは古代エジプト王妃ナプテラ(ラムセズ2世の妃)から
ヒッタイト王妃プジヘパ(ハットゥシリ3世の妃)に宛てた
陶板(焼き物に文字を書いたもので、今でいう手紙)の親書です。
古代エジプトとヒッタイトには交易関係があったことが分かります。

それにしても古代史上のエジプト王妃とヒッタイト王妃が
文通していたことに、大変なロマンと感動を覚えました。




古代エジプト・ナプテラ王妃から古代ヒッタイト・プジヘパ王妃に
宛てた陶板の親書(左側)。今から約3,200年前の文書です。
右側のパネルは、そのトルコ語訳と英語訳です。
博物館の入口
アーチがイスラムチックです。
ヒッタイト人が人類史上
初めて使用した鉄製品。
民具、農耕用具、武器、等々。
スゴイ!。
スタンダードと呼ばれる
青銅の飾り。
用途は不明だそうです。

アンカラ城

あちこち溶岩が露出する土地に建つこのアンカラ城、古代ローマ帝国によって
完成され、その後東ローマ・ビザンティン帝国やイスラム・セルジューク朝によって
修復・増築されたものだそうです

  
丘の上に建つアンカラ城のシルエット、
アンカラ城の尖塔にはやはりトルコ国旗が
高々と掲揚されております。

 カッパドキア

ついにやって来ましたトルコの世界遺産の一つ
カッパドキア(美しい白い馬という意味だそうです)
奇岩また奇岩が延々と続いておりました。



カッパドキアの奇岩









 



 



 



 
 





 
 

参加者集合写真
皆様には大変お世話になり本当に有難うございました。
この場をお借りして改めて厚く御礼を申しあげます。

下の小さい写真をタッチすれば拡大し、クリックすればページ・トップに飛びます。

万年雪をかぶった山はエルジェス山、標高3,916m

ラクダ岩や三姉妹の岩などの奇岩が沢山




   
   
  

カイマクル地下都市

トルコ中部アナトリア高原に位置するここカッパドキア地方には
火山層を掘りぬいた地下8〜9階の地下都市がありました。
キリスト教徒を迫害し続けるイスラム教徒から逃避するために造られた地下都市。
敵が去るまで貯蔵食料で飢えを凌ぎながら半年から一年もこの暗闇の中に篭り、
敵が諦めて過ぎ去るのを、ひたすら待ったのだそうです。
内部には大小様々な部屋、寝室、馬小屋、テーブル、ワイン醸造所、
倉庫、教会、井戸、トイレ、キッチン、通風孔等が造られてます。
通路は外敵が侵入し難いようにと、超狭まいです。



 
 


 






カッパドキアの洞窟ホテル

今夜の宿泊ホテルはカッパドキアにある、ギョレメ・カヤ・ホテルです
洞窟と聞いただけで何となく、ドキ、ドキ  汗(^-^)汗


ホテルの全景** **夜景、何となく不気味、出てきそうです
ホテル玄関(トルコ語でOtel)** **地中をくり抜いたホテル内の廊下
イスラム風バー、ベリーダンサーが出演** **室内、水周りは良く整備されてました


洞窟ホテルの夜景。多少不気味です。



 


廊下も勿論、岩肌です。



カッパドキアは熱気球のメッカ** **時間があれば乗ることも出来ます
 

 メヴラーナ旋回舞踊

アッラーの神との一体化のため、ただひたすら
左回転しながら公転し続けるイスラム教・メヴラーナ派の宗教儀式。
何時間も旋回して陶酔状態に入り無我の境地になるのだそうです。
この旋回舞踊は世界遺産になっております。


 2012年3月 トルコのページをリニューアルしました

 ギョレメ野外博物館

古代ローマ時代にギリシャ人のキリスト教徒によって
建設された地下都市。
壁一面に色鮮やかにイコンが描かれている
立派な教会がありました。
外の風雨にさらされていない分、退色が少なく当時の
イコンが今に残っております。
信仰の深さに心打たれました。




 
 
 

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